2011年1月25日火曜日

キュレーション・ジャーナリズムとは何か




佐々木俊尚氏の4月12日午後5時配信の有料メルマガ 「ネット未来地図レポート」第86回から。


「情報が多すぎる」問題は、情報の発信者であるジャーナリストの側にとっても、致命的だ。自分がいくら「これが良い情報だ!」「この記事を読め!」と書きまくっても、読んでくれる人がなかなか現れてこない可能性があるからだ。いままでのマスメディア時代だったら、多くの人の目に触れる導線である新聞や雑誌などの掲載場所さえ確保しておけば、みんなに読んでもらうことができた。しかしネット時代においては、「みんなが見ているサイト」なんていうものがそもそも幻想でしかないので、掲載場所を確保したからと言ってそれが読まれるという保証は何もない。


そういう状況の中で、ジャーナリズムの役割も少しずつ変容し始めている。それはジャーナリズムの持っている役割が拡大しているのかもしれないし、あるいは別の場所へと移行し始めているのかもしれない。いずれにしても、カバーする範囲が変わってきているのは事実だ。


その最も端的な例が、今回から取り上げるキュレーション・ジャーナリズムである。この言葉は昨年初めごろから、アメリカのメディア関連のブログや論文などで徐々に見受けられるようになってきた。新しいジャーゴン(流行語)である。


キュレーションという言葉に、的確な日本語訳はない。私はこう定義している。「キュレーションは情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」。


日本語でキュレーションという言葉が使われる場面というと、博物館の学芸員(キュレーター)が唯一といってもいいかもしれない。展覧会を企画し、その企画テーマに沿った形で展示品を集め、順路に沿って展示品の並びを考え、そして多くの人に見てもらうように公開する。


それと同じように、インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。そして選別した「これを読め!」という情報に対してコメントを加えるなどして何らかの意味づけを行い、それをブログやTwitter、SNSなどのサービスを使って多くの人に共有してもらう。


「そんなもののどこがジャーナリズムなのか!」と怒る人もいるかもしれない。たぶん古い新聞業界や出版業界にいる組織ジャーナリストにとっては、キュレーションをジャーナリズムと呼ぶのは耐え難い屈辱に映るだろう。しかし、考えても見てほしい。ジャーナリズムの本来の役割は、何かのことがらについて専門家から取材し、そのことがらが意味すること、それがもたらす社会的影響や未来像について読者にわかりやすく提示することである。


※これは抜粋です。全文(今回は約6500文字)は、佐々木俊尚公式サイトへ!

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