2011年3月25日金曜日

■モバイル世代にとってのテレビはそれ以前のテレビとは全く別物なのでは?と。




井口さんのブログから引用させていただいてます。


少し前の事なのですけど、とある地上波ニュース番組からセカイカメラの取材が有りまして。で、結局のところそのオファーはお断りしたのですが、そのときに非常に強く感じたことがあります。

いまだに僕に限らず全国ネットのテレビ報道に代表されるマスメディアの存在感や影響力を尊重・重視する感覚は相当に根強いと思います。でも、現実には、ちょうどティーエイジャーの携帯ヘビーユーザーあたりからマスメディアというものに対する向き合い方・捉え方が大きく変化しているのではないかと感じるのですね。

携帯で非常に大きなページビューを稼いでいる媒体は既にテレビ深夜枠程度のリーチを軽々と超えてしまっている訳ですが、この場合そのメディアの利用者たちはマスメディア相当規模の媒体にアクセスしているという実感は余り無い筈です。つまり総体としての数億~数十億ページビューは個々のトラフィック噛み砕いてしまえば要は個人間のコミュニケーションの合算に過ぎないので、利用者の個々人にフォーカスすると非常にパーソナルな利用感覚しかない訳です。

たとえば個人間の親近感や信頼感にもとづいてやりとりされる情報交換と、ある一定のステイタスはあるとは言ってもまるで知らない価値観の違う人たちによって形成されるマスメディア情報の流通とでは大きく受け止め方が違ってきます。おそらくマスメディアのお墨付きの方がアヤシイという感覚は多かれ少なかれ携帯世代に普通にあるのでは?と。

その番組について、僕らとしては(ソーシャルタギングのための)セカイカメラというサービスをなんとか自分たちの言葉を通じて直接語りかけたかったのです。つまり、メディア自体の価値観で取り上げられ伝えられる事に対して大きな懸念がありましたし、その懸念を払拭しないまま単に規模の大きいメディアのリーチに乗っかる事に対して大きな抵抗感がありました。

おそらくその懸念や抵抗感は担当者の方には十分にお伝え出来なかったと思うのですが、規模の大きい最大公約数的な情報の束ね方に乗ってしまうよりも、もっと個々のコミュニケーションの「口火」になる様な「きっかけとしての言葉」を自分たちの言葉で持って伝えたいというのが正直なところでした(ブログやYouTubeではそれが可能ですよね)。

そのために最後まで譲れなかったのが生放送への出演という条件だったのですけど、これはこれでその場のムードなどリアルタイムの番組編集というフィルターとどう向き合うかというリスクはあります。でも、少なくとも、そこで喋った事やとった態度は自分自身のリスクとして向き合う事が可能なので、まだ納得して受け止められると思うのです。

なんだかテレビに対してすごくナーバスな対応をしているような気もしつつ、もしも可能であれば自分自身の姿勢は自分自身の言葉でもって語りかけたいと思うのです。少なくともインターネットはその自由を担保してくれている訳ですから。

あと、個人メディア=個人間コミュニケーションの延長としての携帯メディアは、個人情報のセキュリティに於いても劇的なチェンジエージェント(変化を促進する触媒役)足り得ていると思うのですが(ここでは話題として逸れるので余り触れませんけど)、この感覚の世代間相違は非常に大きいと感じています。

たとえばソーシャルタギングも総体としてはタギングするユーザーの趣味趣向等の反映として相当ディープな情報源なのですけど、それを軽々シェアする気分になれる年代とそうでない年代とのギャップは無茶苦茶深いんじゃないかと思います。

ですから、モバイルインターネットインフラとしての高速な無線通信網の普及以外にそれをドライブする側のセキュリティ感覚の進化(それは個人情報にセンシティブかどうかという意味ではなく)もモバイルメディアの発達上は大きくクローズアップされるべきテーマのように感じます。旧来の世代が意味も無く恐れ、避け続けて来た個人情報のネット流通を、問題や課題はあれども前向きに捉えて行く世代としては携帯ネーティブ世代以降が本命のような気がします。

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